10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1

一般教養として知っておくべき映画とか小説とか音楽教えてくれ : はれぞう」このエントリーを読んで「10代で読んでいないと恥ずかしい必読書」という内容で書き込みがあったので、amazonリンクを張っておく。まずは第一弾。


プラトン『国家』

カスタマーレビュー

「正義について」と副題されたこの大著は、知の巨人プラトンによる対話篇のなかの、主著中の主著であることは、論を待たないでしょう。主人公ソクラテスは、正義とは何かを議論するなかで、個人における正義の拡大された姿を国家において見ることを提案し、理想的な国家について論じていきます。理想国家を定義し、哲人統治こそが理想国家にいたる道であると説いたソクラテスは、それでは哲人が学ぶべきものは何か、と問いを設定します。そして、<善>のイデアに達するための、哲学的認識の転換の必要性を、有名な洞窟の比喩をはじめとするたとえ話によって説明します。ついで、不正がいかに理想国家を不完全国家に転落させるかを説き、正義こそが人間を幸福にする、と結論します。詳細な訳者注、補注して、60ページにわたる解説がこの大著の理解を助けてくれます。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』

カスタマーレビュー

 気が引ける位の偉大な遺産にレヴューを書くのは愚かかもしれないが、今だ現代においても、やはり重要である以上、行なうべきだと小生思うので、市井一般人の立場から、推薦文をものしたい。

 改めて言うまでもなく著者アリストテレス(BC384-322)は、誰でも一度は耳にしたことのある偉大な哲学者だ。その数多くある優れた特徴のうちの一つは、「ものごと」の「分類」を細かく行なう事と、その重要性を教えてくれたことにあるだろう。本書にもそれが見て取れる。つまり、「巻」、「章」の区分が、きめ細かい。時に混乱してしまうかもしれないが、ポイントを押えておけば大丈夫であろう。

 本書は「倫理とはなにか、そしてその実践」が説かれており、上巻では『序説』、『幸福』、『倫理的な卓越性(徳)についての概論』とそれら『各論』、『正義』、『知性的な卓越性』などに触れられている。一読するために必要なポイントは、目次に掲げられているので、見失ったときの大切な地図となるだろう。

 文体そのものは、案外取り付きやすいので、とても嬉しい。

 『…知識がではなく、実践が目的』(p19より)を意識して書かれた賢人の言葉を、「倫理の崩壊」が叫ばれるこんにち、今一度噛みしめてみよう。古くても、ずば抜けた才能をもっていた、アリストテレスという「一個人」が教えてくれることは、案外現代的でもあると、小生は感じた。


ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』

カスタマーレビュー

ペシミスト、消極的ニヒリズムの徒、ドイツ観念論の傍流あるいはその(ヘーゲルに先立つ)最初の完成者、苦悩の哲学と生の否定… 従来の一般的なショーペンハウアー理解は、厭世的な哲学者というイメージが圧倒的だった。けれども、どうやら今日の研究者たちの間では、こうした古いイメージは一掃されつつあるようだ。

新書サイズの3分冊になったこの本では、以前の西尾幹二氏の解説に代えて、新たに鎌田康男氏による解説が加わった。この魅力的な解説が、この本の面目を一新している。鎌田氏は、西欧近代市民社会がはらむ「自由であるがゆえに孤独でなければならない運命」をわれわれ現代人とも共有する19世紀の先駆者にして同時代人として、この哲学者を再認識するよう迫る。

この解説を読んでから、改めて本文を読むと、ペシミスト・ショーペンハウアーとは別の、ポスト・モダニスト・ショーペンハウアーの姿が浮かんでくる。古いイメージに憑かれた読者にとって、これは新鮮な体験であり、「ドイツ観念論」という哲学史理解の枠組みそのものの変更を迫るような衝撃である。


ヘーゲル『精神現象学』

カスタマーレビュー

やや高めとは言え文庫本2冊で読める「精神現象学」というのは魅力。が、原典のアンチョコとしてはともかく、日本語としての理解は可能か大いに疑問だ。原文を見なければ良く分からないような翻訳に意味があるのだろうか。そうは言っても、立派な哲学者の翻訳でその偉業は素晴らしいし、直訳調(?)の文体が捨てがたい魅力もあって、私個人は、若年の頃苦労しながら読んだ深い思い出の訳書。ことに冒頭の序論とストア派から懐疑論へのくだりは、独特の雰囲気があって捨てがたい魅力がある。この味わいが名訳の長谷川宏訳よりも好ましい場合もあるのだが、しかし、やっぱりついていけるのは「理性」のところまでで、具体的な内容を扱いながら展開される「精神」の章になると、理解に限界をきたす翻訳だと思う。

デカルト『省察』

カスタマーレビュー

デカルトの形而上学に関する著作としては、本書「省察」のほかに「方法序説」と「哲学原理」があるが、述べられていることのエッセンスはどれもほぼ同じ。つまり、方法的懐疑、「我思うゆえに我在り」、神の存在証明、心身二元論、といった議論の流れは、どの本でも共通する。

違うのは叙述のスタイルである。「方法序説」が自分の思想の発展を振り返って簡潔にスケッチするもの、「哲学原理」が主張と根拠を体系的に記述するものであるのに対し、本書「省察」は著者の思考の過程を詳細に再現したものである。

このため本書では「…だろう。いや、違う。やはり…だ。いやいや、そうではない。よく考えると正しくは…だ」というふうに、自分の言ったことを直後に否定する文章が延々と続く。こうしたスタイルは、デカルトの思考の過程を追体験できるという他では得難いメリットがある一方で、読んでいて先が全く予測できないという難点もある。そういう訳で、初読者には「哲学原理」と併読することをお勧めする。

現在簡単に手に入る翻訳としては、白水社、中央クラシックス、ちくま学芸文庫の三冊がある。厳密に比較した訳ではないが、原文の忠実な再現という点では白水>ちくま>中央の順、日本語としての読みやすさという点では中央>ちくま>白水の順、というのが私個人の印象である。


パスカル『パンセ』

カスタマーレビュー

「人間は考える葦である」とのあまりに有名なフレーズは、その前後を知ることで、感動を

果てしなく増幅させる。パスカルのことばにしばし耳を傾けてみよう。

 曰く、「人間は一本の葦にすぎない、[その葦は]自然の中で最も弱く、しかし、

考える葦である。……宇宙が人間を押しつぶそうとも、人間はなお己を殺すものよりも

高貴なものであり続けるだろう。なぜなら、人間は己が死することを、そして、宇宙が

人間に勝るということを知っているから。宇宙は何も知らない」。

 読みどころはそれだけではない。「パスカルの賭け」なるあの議論もまた、このテキスト内に

おいて展開される。自然natureとはすなわち人為に他ならぬとの洞察は見事。それとなく

ページをめくれば、あまりに端的で、あまりに鋭いアフォリズムがそこかしこに鏤められている。

 死を想え Memento mori。

 狂気と天才は紙一重、ということばはパスカルにこそふさわしい。鮮血の苦悩を注ぎつつ、

愚直なまでに知を以って己を切り裂き駆け抜けた生涯、宇宙に対する優越を謳う、まさに

その知を以って。

 そんな胸の詰まるまでの苦悩、孤独、儚い希望が凝縮された感動的な名著。


ライプニッツ『単子論』

カスタマーレビュー

プルターク英雄伝で河野訳に対する評価はかなり低いものだったが、こちらのほう

は案に相違して読みやすかった。大半がフランス語からの翻訳だったからかな?そ

れとも哲学論文だったのがよかったということか。

収録されているのは、ライプニッツ哲学の代表的著作「単子論」のほか,ライプ

ニッツ著作一覧や、「実体の本性及び実体の交通並びに精神物体間に存する結合に

就いての新説」、のちにヴォルテールに批判されるような弁神論が書かれた論文な

どから成る。

ちょっと活字が古いけど読むには支障なし。多めな訳注(大部分ブトルー、ラタの

訳注に負うとのことだが)と各論文の前にそれぞれ結構なボリュームの解説あり。

とりわけ注は、言葉の意味や定義へのこだわりが出てて大変よろしい。ちなみに、

松岡正剛氏はこの河野与一訳を読んだそうだが、あまりにも注解が本文に押し寄せ

るように介入していて、そうとうに読みにくかったらしいけど。


カント『純粋理性批判』

カスタマーレビュー

カントの『純粋理性批判』を繙きたいと思った場合、いちばん手軽に入るのがこの岩波文庫版なのだが、岩波文庫版お買い求めになるまえに以下のことを注意するようお勧めしたい。

第一に、誤訳がたいへん多いこと。

第二に、訳文を補っている翻訳者補註に誤りが多いこと。

第三に、意訳や著者独自の訳語が使用されている箇所が少なくないこと。

第四に、基本的に同書の第二版が底本になっており、第一版との参照がしづらいこと。

にもかかわらず「買う」という場合の利点は以下の通り、

第一に、他に比べて安いこと。

第二に、索引と用語のインデックスが便利であること。

第三に、一応アカデミー版原典への参照が付されているので、持ち運びに便利であること。

第二点に関しては、下巻を買えば満足されるので、さしあたり、下巻だけもっていれば用は足りるかも知れない。


キェルケゴール『死に至る病』

カスタマーレビュー

分厚い文庫本だけれども半分が訳注ないし解説という、ある意味ブッ飛んだ書物。それだから、キルケゴールの「絶望」や「実存」といった概念がどこまでも軽薄な意味で捉えられる方向に向う現今我々を取り巻く状況下にあって、本書は甚だ心強い。訳語にかんする考証も精緻を極める。訳者桝田教授は、大谷愛人(研究者。「青年時代の研究」「著作活動の研究」の著書を合計すると6000ページを軽く超える。原稿用紙に換算するとしたら……)教授によって「デンマーク語原典に直接当たるのでなかったら、独訳英訳などよりも桝田訳日本語版で読んだ方がよい」というような太鼓判を貰っておられる。値は張るが、本文を一度読めば読了というたぐいの書物ではないので、どうせ買うならばペナペナの他社版よりもこちらを手にして戴きたい。

バーク『フランス革命の省察』

カスタマーレビュー

49 人中、47人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 5つ星のうち 5.0 保守主義の聖典です, 2007/1/1 By イタリア研究会 (埼玉県) - レビューをすべて見る レビュー対象商品: フランス革命の省察 (単行本) 「これが保守主義である。しかもそれは品位がある」−アーネスト・バーカー 半澤氏の名訳により、みすず書房版もまた原書のように品位に満ちています。 私は、歪められた保守主義の軌道修正のためにも、この本が今こそ読まれるべき であると確信しています。 エドマンド・バークは、保守主義が守るべき伝統として、英国におけるいくつかの 伝統を挙げています。そして、フランスにおいても守るべき伝統は当然あったので あり、フランス革命は「伝統の破壊」であったのだと喝破しています。 ところが、同時に、保守主義とは全てを保守するのではなく、漸進的な改革なら是認 するものともしています。一番恐ろしいものは、バークによれば、「中国的停滞」です。 急進的な改革も、単なる守旧も、停滞を招くということでしょう。だから、バークは 漸進的な改革を良しとするのだと私は考えます。 保守主義という言葉は、今や自己肯定、言論闘争、様々な政治的喧伝のための道具に 成り下がってしまったかのようです。各々が違った定義を声高に叫んでいます。 今こそ原典を読み返して、保守主義の出発点を学ぶべきだと私は考えます。

ジェイムズ『宗教的経験の諸相』

カスタマーレビュー

この本は、もともと自然神学をテーマに開設された連続講演の講義録だったらしい。聴衆に語りかける語り口が親しみやすく、引用が多いわりには平易で明快な論述になっている。 全体に、知識人の宗教否定的な論調に対して、宗教経験が持つリアリティを擁護する議論になっているが、そこには、人間の経験する世界の多様性を積極的に認めていこうとするジェイムズらしい主張がこめられている。 講義の全編を貫く主題は、リアリティとは何かという問いだといえるだろう。様々なタイプの人間が、それぞれの仕方で、これこそ自分にとってリアルな存在だと感じるものがある。それが別の立場の人間からは否定されたり軽視されたりするものであっても、等しく人間の生を基礎づける根本的なヴィジョンであるかぎり、その意義と価値を認めていこうというのが、ジェイムズの基本姿勢のようだ。わたしたちを取り巻くリアリティは、ある特定の立場からその全容を解明されるようなものではなく、どこまでも奥深く、多様な側面をもったものなのだ。ジェイムズが語る宗教経験の諸相は、多様な仕方で現われるリアリティのどこまでも深い深みを、多角的に照らし出してくれる。これは、宗教的寛容や、宗教多元論など、現代社会が直面する課題にとっても、とても有益な、ほとんど唯一の方向性を示した見解ではないだろうか。

ニーチェ『道徳の系譜』

カスタマーレビュー

内容の評価は他の方々が色々と書いているので、私は本書の翻訳の評価を少ししたいと思います。本書は1940年に初版発行らしく、文章のところどころに古さを感じ、日本語の翻訳をしばしば行わなければいけない感じでした。訳が悪いわけではないのでしょうが、あまりこういう本に慣れていない凡人の私にはほとほと読みづらく、同じく岩波出版の善悪の彼岸も読みづらかった印象です。少し高いですが筑摩学芸文庫の道徳の方が読みやすかったと私は思いました。筑摩の方は善悪の彼岸も一緒になっています。値段なら岩波、楽に読むなら筑摩かな?と思いました

ベーコン『ノヴム・オルガヌム』

カスタマーレビュー

 自然科学の確立時期に居合わせた著者、フランシス・ベーコン(1561-1626)は、中世アリストテレス論理学関係の研究―これを「オルガヌム」という―の、「乗り越え」を目指し、本書『新機関(ノヴム・オルガヌム)』を、その解答として世に問うた。本書は、こういった成り立ちを持つものである。  本書の内容に触れる前に、まぎらわしい点を一つ、取り除いておきたい。ベーコンという苗字の哲学者は、もう一人いる。それは、ロジャー・ベーコン(1214?-1292?)である。困ったことに、フランシスコ修道会にかかわりを持ち、思想内容も近世自然科学を思わせるものを含んでいる。こちらとお間違えのないように。  さて本書は、「当時の学問すべてを革新しよう」という遠大な目標の下に構想されたものである。しかし著者が多忙であったことにもよるのだろう、完結とはならなかった。しかし、これが内容を削ぐことにはならず、むしろ「生かした」ように思われる。その理由は、本書の大部分が、読みやすくしかも切れ味の鋭い「アフォリズム」つまり「警句・箴言(しんげん)」形式によって書かれているからだ。現代の視点で本書をひも解いてみても、古いことに惑わされるよりはむしろ、教えられることのほうが多い位である。  本書の意義は、少なくとも二つある。一つは「近代科学の根幹」である「観察と実験」にまつわるものであり、もう一つは、「イドラ」と著者の称するバイアス(偏見)についてである。しかし、それらを下支えする「現実との関わり方」という点が、小生、さらに重要と思われる。この点は、科学・社会・思想分野の「検証」的作品の前付け(本文の前に書かれている部分)に、アフォリズムから、しばしば引用されているということが、よく物語っているのではないだろうか。

フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』

カスタマーレビュー

 1935年(76歳)ウィーンでの「ヨーロッパ的人間性の危機における哲学」と題した講演が基になっている。  この書物には第3部まで収められているが、5部構成で構想されていたことが、私設助手オイゲン・フィンクの文章(付録1に収録)から分かる。即ち、第1部「学問の危機」、第2部「物理学的客観主義と超越論的主観主義」、第3部「超越論的問題の解明と心理学」、第4部「諸科学と超越論的哲学」、第5部「人類の自己責任」(標題は省略している)である。なお、第2部に関連した草稿「幾何学の起源について」が付録2として掲載されている。  この講演が行われた20世紀前半と言えば、数学ではカントルが生み出した集合論を土台として位相空間論、群論、ルベーグ積分等が花開き、物理学では相対性理論、量子力学が登場し、情報科学では、チューリングが万能計算機械の論文を発表と、まさに「ヨーロッパ諸学」が光り輝いていた。「危機」という言葉は、あまりにもそぐわないし、ほとんど言いがかりのようにも聞こえる。  その言葉は、当時の時代を背景に置いてみる時、意味を持つように思う。1932年にはドイツ財界からの援助を受けた独裁を指導原理とするナチス党が第1党になっている。翌年には「非ドイツ的」書物が焼却される焚書事件が起こり、また内相に任じられたゲーリングがゲシュタポを設置している。 1934年にはヒトラーは、大統領兼首相の地位、即ち総統の地位に就く。翌年(講演の年)には反ユダヤ主義のニュルンベルク法が発令され、1938年にはナチス党員と突撃隊員がユダヤ人を襲ったクリスタル・ナハト事件が起こる。  諸学はそもそもそのような動きが生まれるのを許してしまったし、また生まれたその動きを抑止することもできなかった。諸学は、あまりにも無力だったのだ。学問の無力さを、人々は痛感していたし、それ故、「諸学の危機」というフッサールの言葉にも耳を傾けもしたのだ、そう私は思う。  この書物は、フッサールの理性主義に対する強い決意表明で終る。この表明は、いささか唐突であるが(実際、編者のヴァルター・ビーメルが他の草稿のものを付け足したものだ)、心を動かされもする。フッサールは、終生敬虔な信仰を持ち続け、理性に従って生き、それを「人類の自己責任」として最後まで全うした。自らもユダヤ人として迫害され、ナチス政権の下、人々が自分から離れてゆき、孤独を強いられる中で、止むことなく理性への問いを問い続けた態度に対する時、私は頭が下る。

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』

カスタマーレビュー

 きっと言語もそのようなものなのだろう。メルロ=ポンティは、言語は身体が身体図式を用いて外部の世界に対しておこなっている応答だとみた。言語が意味をもつのもそのためだと考えた。言語は何かの「地」に対して浮き上がってきた「図」であったのだ。しかし、このあたりの考察は『知覚の現象学』では、まだぶよぶよしていた。のちの『シーニュ』などを待たなければならない。  ところで本書には、序文がある。そこには「哲学とはおのれ自身の端緒がたえず更新されていく経験である」というすばらしい一文が書きつけられている。  まさにメルロ=ポンティは「関係化」を考えつづけた人だった。それの関係化は底辺と端緒との両方で更新しつづけられた。根っこと葉っぱの両方である。きっと中村宏は、その根っこと葉っぱの両方を見るレンズがさらに必要だと言ったのであろう。

ハイデッガー『存在と時間』

カスタマーレビュー

 日本では残念ながら「存在と時間」に関する解説書はありますが、これ以上の本はありません。強いてあげるなら木田元氏の本でしょう。この本を副読本として読めば大抵の人なら難解な「存在と時間」を読むことが出来ます。なかなか原著を最初から最後まで読むのは至難の業です。これを読めば早道かも知れません。

アーレント『精神の生活』

カスタマーレビュー

普段はまったく気に留めないようなことをあえて掘り下げて試る。すると非常に難解だったりする。でもそんな難解なこととの出会いって非常に大切なことかもしれない。もしかしてそれは難解じゃなくて感動だったのかも。

ヨナス『責任という原理』

カスタマーレビュー

ハンス・ヨナスは、『責任という原理』(注1)の中で、責任の原理の基礎づけを行っている。そこで論じられている責任とは、未来の世代に対して現在の世代が担うべき責任のことである。 人間が、かけがえのない地球を荒廃させ、生き物の住めない世界にしてしまうことがあってはならない。このことを、われわれはくりかえし訴えていかなければならない。とはいえ、環境を守ろうとするならば、何らかの形で、われわれ自身の生活の豊かさの一部を犠牲にしなければならない。したがって、われわれがなぜ環境を守らなければならないかを、納得できる仕方で根拠づけてやらなければならない。もちろん、次のような立場もありうるだろう。それは、「かけがえのない地球」といった考え方はいまやほとんど共有されているといってよいほどなのであるから、われわれが取り組んでいかなければならない最も厄介な問題とは、むしろそうした考え方にもとづいて具体的に行動していく実践面において、いかにして合意を形成していくかという問題である、と論じる立場である。だが、それでもなお、環境をできるだけ「よい」(この「よい」が何を意味するのかはそれはそれで問題であるが)ものに保っておくということがなぜわれわれにとっての義務となるのかを根拠づけてやることは、必須の事柄である。なぜならそれは、そうした合意形成の大前提であって、これなしには人々が話し合いのテーブルにつくことは不可能であるし、またそうした合意形成の際に考慮されるべき諸要因の優先順位を決定する場面においても、根本となる原理がいかなるものであるかによって、その順位が変動してくるであろうからである。

サルトル『存在と無』

カスタマーレビュー

本書は大部であるため読みきるのは相当な困難であり、 なおかつその難解さ、さらには悪訳も手伝って本書は読みきるの非常に骨の折れる作業である。 本書は副題に「現象学的存在論の試み」とあるように、フッサール現象学とハイデガー哲学の議論から多くを得ており、 フロイトの精神分析も非常に重要な役割を果たしているので、これらの一通りの知識があるとそれなりに本書の意図が見えてくる。 まずサルトルは即自存在と対自存在との区別から議論を展開している。 絶対的な自由故の不安、実存的な不安の分析、自らに対して自由を隠蔽する自己欺瞞論などを前半部分で展開していき、 後半部では、他者との関係における自由が責任、世界との関連で記述される。 実存論的自由と実存論的責任はサルトルが残した『倫理学草稿』の問題に引き継がれているように、過去の遺物ではない。 実存論的な主体が選択する事によって、主体が責任を他者との関連においてどのように責任はたすのか?どのような倫理が可能なのか? ということまではサルトルは応えてくれないが、これを読み終えるころにはそれについて多少は考えることができるようになっている。(かな?) サルトルはフッサールやハイデガーを独自の概念で理解しているため、 通常の理解とは違うので、注意して読み進んでいただきたい。 またフランス現代思想等に代表される科学的な言い回しはない。

ベルグソン『時間と自由』

カスタマーレビュー

ベルクソンの哲学的出発を告げた時間論の古典的名著。「意識に直接与えられた」現実を純粋な時間的持続とみなす立場から、自由の決定論と非決定論の双方を “時間の空間化”として批判した。時間意識の緻密な分析を通して具体的現実の復権と真の自由の顕彰を図った20世紀初頭の思想動向を代表する記念碑的労作である。新訳。

ミンコフスキー『生きられる時間』

カスタマーレビュー

本書はミンコフスキーの代表的な著書として、また時間論の名著として、長い間、その翻訳を待たれていたものである。1927年に『精神分裂病』を著わした著者は、分裂病者の時間と空間における特殊な存在の形態、特異な世界への入口を模索しつづけていた。ベルクソン、フッサールの影響が色濃く影を落している本書はその延長線上にある。1993年、『生きられる時間』が生れたときは、私費で千部刷られたという。わが国でも幻の名著となっていたが、1968年にようやく、世界的な要望のうちに再版された。限定復刊。

レヴィナス『全体性と無限』

カスタマーレビュー

『レヴィナス入門』の著書もある熊野純彦氏による新訳。直訳的で素直な訳で読みやすい。というよりも、難解で読みにくいところでも正面から格闘できる。レヴィナスは読めんなぁ、とずっと思っていたけど、何とか読み通すことができた。序文と出出しの難解さに挫折する人が多いそうだけど、そういう人は、少し飛ばして第一部B以降の好きなところから読み始めると良いと思う。なんとか食らいつけるところを一つでも見つけたら、後はなんとか読み通せるはず。 文庫ということで、いつでもどこでも持っていける気軽さがとてもよい。訳注も充実で、いろいろ派生的な情報もたのしめる。何より、安い。ちくま学芸文庫の『実存から実存者へ』、講談社学術文庫の『存在の彼方へ』と合わせて、主著がすべて文庫で読めることとなり、レヴィナスがグッと身近になったことは大変喜ばしい。

フロイト『快感原則の彼岸』

カスタマーレビュー

「自我」の役割についてよく分りました。 この論文は「フロイト全集17巻」にも収められているけれど訳がちょと違います。 翻訳された方が違うから当たり前ですけれど。 この中では特に、「快感原則の彼岸」の中で生物学的視点から欲動について考察されている部分がわたしは面白かったです。 ゾウリムシの話とかは大好きなので(^∇^) 今度ダーウィンの本も読んでみよっと。 あと、「マジック・メモについてのノート」も良かったです。 何でこれにこだわってるんだろう?と最初は思いましたが、人間の知覚装置をマジック・ノートに喩えているところが面白いなと思いました。 Short-term memoryのようなものかと最初思ったんだけど、ちょと違うのかな?まだまだ理解が浅いです。 フロイトの時代のものとはちょと違うのかも知れないけど、わたしも結構これが好きで小さい頃遊んだなぁ。 よく「りぼん」のオマケとかについてきたんですよね。 「否定」も良かった。 あ〜、よくある!と思いました。 「欲動とその運命」の、自体愛の話もとっても興味深かったです。 というか、やっぱりフロイトさんは面白い。

ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』

カスタマーレビュー

下の方に酷評が載っているが、言い過ぎだと思う。市倉訳のほうに、原著にはあったとさ れるリズム感が欠けていたことは、ずっと前から指摘されてきた。その点宇野訳は、この 大著を、あたかも「一つの文学作品」として読み通せるようにしたという意味では、良訳 の部類に入ると思う。文章も「機械翻訳」という評言がどこから出てくるのかまったく不 明なほど、ひとつひとつの文も、段落ごとの内容も、日本語として十分意味が通っており、 解釈を加えずにここまで訳せるものではない。 「そっくり一文が抜け落ちている」のが事実だとしても一般の私たちには確認のしようも ないのだが、反復文が極めて多いこの本では、通読して大意をつかむという読み方をした 場合、仮にそういう事実があったとしても、本の言わんとする方向が変わってしまうほど 重大な問題になるとは考えにくい。 今、文学作品としてはとか、大意をつかむという読み方ならと書いたけれど、まさにこの 本の良いところは、あの大著を、概要としては何を伝えようとしているか、とりあえず通 読してみる気にさせるところであり、そういう読み方をするなら、十分役に立つ。文庫本 というハンディな作りなので、少しずつ読めば、必ず最後まで読み通せるし、とにかく著 者たちが何に反対し、何を擁護し、どのような世界観を提示しようとしているのかという 軸の部分は十分つかめるはずだ。(ただし、上巻の注が下巻にある点は不便きわまりなく、 出版社に猛省を促したい) この本は、長年、通読もされずに適当な引用をされたり、批判されたりしてきた歴史があ る。宇野訳で、とりあえずその点が解消されたのは喜ばしい。術語については、哲学的に 厳密を期したい専門家や、どうしても納得のいかない箇所があった場合は、原著を読むか 市倉訳を必要に応じて参照すればよいと思う。この本の最大の功績は、とにかく「あの 『アンチ・オイディプス』が手軽に通読でき、概要がつかめるようになった」という点に あるのだから。 こんな試みが可能なら、ついでに『千のプラトー』も文庫化すべきだと思う。 (下巻と同じ文章)

フォーダー『精神のモジュール形式』

カスタマーレビュー

フォーダーの『精神のモジュール形式』以降,モジュールという概念で心を捉 える試みが繰り返されているが,最近の経営学・経済学でも(製品,組織,産業などの)モジュール化をいかに概念化することが問題になってきた.そこで得られた考え方のひとつは,モジュール化という概念にとって,仕切りとそれに補完的な仕切り間の横断とをうまく組み合わせることが重要だということである.仕切りをよりプリミティブなもので,それの流動化がより高等なものと単純に決めつけることもできないだろう.

ヤスパース『精神病理学総論』

カスタマーレビュー

カール・ヤスパースは早い頃から哲学に関心を抱いていたものの、父が法曹界に身を置いていたため、ヤスパースは大学で法学を学びはじめる。まもなく1901年には医学の道へ転向。1909年に医学部(メディカル・スクール)を卒業した後はハイデルベルクの精神病院で医師として働く。そこで当時の医学界の精神病に対する姿勢に疑問を抱き、精神医学の方法論の改良を目指すようになる。1913年にはハイデルベルク大学で精神医学を教え始め、以後、臨床に戻ることはなかった。しかし彼自身の精神医学に対する関心は終生変わることはなく、処女作『精神病理学総論』の分量を大幅に増やし、改訂版第4版として公刊したのは第二次世界大戦後である。

エレンベルガー『無意識の発見』

カスタマーレビュー

 20世紀は「心理学の時代」とも言い得ることはよく知られている。文学・美術のみならず、経済学やひいては、社会構造論の観点からすると、科学の仮説解釈においてさえ、当てはまるかもしれないほどである。そんな時代においては我々の「普段人を理解する方法」にも、勿論深く関わっているかもしれない。この 20世紀を主導した「力動精神医学」の通史が、まさに本書である。  特筆すべき点は数多い。  まず第一に、この上・下巻とも、大変しっかりした構成のもとに記されている。それを支えるかのように、2000点にも及ぶであろうか、膨大な参考資料を駆使している。しかしとても理解しやすい。さらに著者自身が精神科医でもあるため、先人の行った仕事の意味を抽出すること抜群である。  上巻は見過ごされがちな、フロイト以前(乱暴な分け方だが)のP・ジャネまでが対象となっているが、出来れば読み飛ばさず著者とともに歩みを進めて欲しい。その重要性は、下巻でつぶさに見出せるだろう。  ともかく太鼓判

ラカン『精神分析の四基本概念』

カスタマーレビュー

 「無意識」「反復」「転移」「慾動」の四つの概念を提起。人間が言葉を獲得するとき、自他の差異が初めの言葉による印として無意識に書き込まれる。反復とはその初めの傷の繰り返しであり、転移とはその傷が「理想化された他者」(自我理想)へと、愛という慾動の偽装をとって表れたものである。分析家の欲望とはこの初めの印、傷へと介入し、それと理想化された他者との同一視を分離し距離を置くことである。それには、父性の隠喩が必要である、とざっと一回目の通読で思ったが、これで日本語で訳されたセミネールの五巻分は一応眼は通したことになる。ここからフロイトへ還り、もう一度自他のフロイト読解の差異を確定できるか。難しいところだがこれだけではわからなかったので、「ラカン対ラカン」!ジャック・ラカンの書」等の研究書を適宜参照した。

フーコー『言葉と物』

カスタマーレビュー

普通は自身の思考は自身につかさどられている、と思っている。全部が自身のコントロールにあるわけではないが、何につけ、「主体」と称するものを前提にしないわけにいかない。この前提にそれとなく疑問を持つことはあっても、そうではない状態をどのように示したらよいか、手が無いのが実情だ。本書はこれをやった。自分で考えていると思っていても、実はそこで司る語彙や観念は、既にあるその時代・社会の「観念の系」とでも称するべき中に位置づけられている。その系の中での思考でしかないことになる。その中にいる限りこの「系」には気付かない。歴史ではなく、「知の考古学」を展開することで、著者は、この点に迫る。絶対王政期には、一般文法、博物学、富の分析があった。語ること、生命、生産といった観念は、無かった。結局「主体」の観念が無い。これは、18世紀のある時期に登場する。その以前と後では、同じ語彙であっても、「系」に占める位置価が異なる。現代は、18世紀のある時期以降の「系」の終盤に来ているのか。そこで登場した「人間」の概念も、波打ち際の砂地の絵のように消えていくのだ、という。この革命的な発想は、ウェーバー、コリングウッドらの歴史哲学に抵触する。本書の意図は、むしろ、人が何かを語るということは、既にその時代の大きな知の枠の中に配置された言語で語ることに他ならない、と言っているようだ。ハーバーマスは、それを語るフーコー自身が棚上げされていることを難詰するが、彼の言説としては珍しく上等ではない。「思考する」ことの本質を衝いた名著中の名著だと思う。

ソシュール『一般言語学講義』

カスタマーレビュー

一般言語学講義は世界的にも有名になった名著であり、主知主義を否定し哲学界のみならず広く人間科学にコペルニクス的転回をもたらした業績は評価しなくてはならないでしょう。 しかしこの書の出版経緯やソシュール自身の特殊な事情から、皮肉にもこの『一般言語学講義』がソシュールの思想の様々な曲解を生み、当然その結果生まれる間違ったソシュールの幻に対する批判も(今思えば)空しく行われたのです。先のレビューにも上がっている時枝誠記のソシュール批判も、そもそもソシュールを理解していないことから生まれたものでした。現在ソシュールの思想を本当に知るには、一般言語学講義が出版された後に次々に発見された「原資料」とつき合わせて吟味することが絶対に必要になります。その経緯は丸山圭三郎先生の『ソシュールの思想』に詳しいです。 ですので、くれぐれも一般言語学講義、しかも日本語で書かれた訳書だけをみて鬼の首を取ったように批判するのは誠に危険であります(過去に同じことが幾度となくあったのですが‥)。今ではソシュールではなく編者たちの創作も多分に含まれていたことがわかっています。 ソシュールの思想自体は単なる過去の遺産ではなくいま立ち向かってみる価値も充分にあると思います。言語学、文化人類学に興味をもったのなら一度ソシュールと真剣に向かい合ってみることを勧めますが、原資料やソシュール研究者たちの意見を全く無視してこの歪められた講義だけを読むのは非常に危険であることは知っておいた方が良いでしょう。

ヴェイユ『重力と恩寵』

カスタマーレビュー

 34歳で夭折した思想家 シモーヌ・ヴェイユが、第二次大戦下、マルセイユでカイエ(ノート)に書き留めた断想集。苛烈で妥協を許さない彼女の自己否定の言葉は、現代のわたしたちが読んでもなお意味深く、硬質で佶屈な比喩はかえって、彼女の生きた苛酷な時代を生々しく浮かび上がらせる。ヴェイユの述べる‘重力’や‘真空’‘恩寵’ の意味を知るには、どれほどの極限状況を経験しなければならないのか。現代のわたしたちは、それを語るにたる資格を、今後ももちえないのか。むろんわたしも、彼女を十分に語る資格をもたない。けれども、わたしは本書を、ときどき読まずにはいられない。  信仰告白にも似た彼女の激しい感情吐露の言葉は、仮借ない自己否定を突き抜けた極限としての自己回帰、時や場所を超えなお古びぬ永遠の叡智、悲惨のさなかでさえ一瞬も疑いえなかった人類への希望、などを照らし出しつつ、多くはデッサン風・アフォリズム風に、飾らない素朴さで縷々綴られており、どの頁を開いても、むしろ逆境にいるときほど、わたしたちのこころの奥深く、真理への愛、真実への目醒めとを呼び醒ます。たしかな思弁の反復により、純化された、透明な、思想そのものとなった言葉の手応えのかけがえなさ。

ディルタイ『精神科学序説』

カスタマーレビュー

哲学的著作としては、上記『精神科学序説』第1巻が生前に刊行されたほかは、多くが『ベルリン・アカデミー報告』に収録された論考として残され、未刊の草稿も多く、これらは現在、整理、編集されて、彼の『全集』に収められている(日本語版『全集』も法政大学出版局より順次公刊されつつある)。哲学や教育学の分野で数多くの弟子を輩出した。哲学では、ゲオルク・ミッシュ、教育学では、ヘルマン・ノールが最古参の弟子であり、他にはエドゥアルト・シュプランガー、ヴィルヘルム・フリットナーが挙げられる。後者2人はともにゲッティンゲン大学に奉職し、その縁でディルタイ・アルヒーフ(ドイツ語で文書館)は、ゲッティンゲン大学にある。このアルヒーフの所蔵品は、彼の娘のクララ・ミッシュ(ディルタイの青年時代の書簡や日記をまとめた『若きディルタイ』の編纂者)とその婿、ヘルマン・ノールが収集したものが中心となっている。 他にユダヤ人の宗教哲学者、マルチン・ブーバーも彼の弟子の1人で、ディルタイがスイスのザイス・アム・シュランでの避寒旅行中に赤痢に感染して亡くなったとき、ベルンハルト・グレートゥイゼンと同道していた。 ディルタイは心理学では、記述的・分析的心理学を標榜し、その流れは了解心理学として心理学のひとつの流れになる。これを基盤にして、精神病理学の世界でひとつの成果を打ち出したのが、カール・ヤスパースであった。またそれの哲学的な解釈は、哲学的解釈学としても知られる。これを方法論として、当時流行の現象学に接木したものが、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』である。

ブーバー『我と汝・対話』

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ユダヤ神秘主義の流れを汲む作者の代表作。個人的には20世紀最上の哲学書だ。「神秘体験」「宗教的体験」「啓示体験」……こうした表現でもどかしく自覚している何かがある人ならば、この書は生涯の盟友となるはずだ。「我々が啓示として呼んでいる、<今、ここ>に現存するあの永遠の根源現象とは、いったい何であろうか」(P.137)。あるいは、「発語」の不思議さに思い当たる人は少なくないだろう。風景でもいい、動物でもいい、例えば海を見ていて、あなたはその名をまだ知らないかもしれない。言葉の錯乱に陥っていて、絶望の淵を彷徨っていて、言葉がもはや形と音を失っているとき、はじめて呼びかける人のように「う、み…」と発語するとき、奇跡のような心持ちになったことはないだろうか。さらにこの飼い犬と、あるいは愛する者と、「互いに呼びかけ合う」といった特別な体験、ごく一瞬なのだが永遠であるような体験。ブーバーは、これらを「我と汝」の対話的な関係という言い方で表そうとしている。モノに埋没した日常生活の中で、本来の生を見失わない確かな言葉がここにある。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

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訳や注、解説が非常に適切。論理の飛躍、前提知識の必要性、語の省略があるところは訳者が適宜補完してくれているので、論理を一つ一つ、梯子を上るように足場を固めながら上れた。もちろん、完全には理解できないし、曖昧な部分や、飛躍も多い。でも、世間で言われているほど難解で意味不明とは思わなかった。主要な命題は以下の7つ。 1.世界は成立していることがらの総体である 2.成立していることがら、すなわち事実とは、諸事態の成立である 3.事実の論理像が思考である 4.思考とは有意味な命題である 5.命題は要素命題の真理関数である 6.真理関数の一般形式はこうである。→(ギリシャ文字とかめんどいから省略) 7.語りえぬものについては、沈黙せねばならない 前半は、非常に精巧に糸を紡ぐような世界の要素への分解とその組み立て。 中盤は、世界と論理のgrounding(ウィトゲンシュタインは現代の記号接地問題を見たらどう考えるのだろう?)→ 思考と論理の同一性と、命題の意味について →  有意味な命題、無意味な命題(トートロジー、矛盾)とは → 各要素命題から真理操作によって張られる"無意味な命題"を通しての論理空間の描画 → 個人の経験による要素命題の有限性と、個人の論理空間の限界(→独我論) → 諸学問(論理学・数学・物理学)の命題の特性と、その正体(目から鱗がボロボロ) → それらの世界記述に関する役割(世界の網目の編み方がここで完成) クライマックスは、倫理や美に代表される超越的な価値の思考不可能性への帰結(さ最後に全てを理解したとき、上りきった梯子を捨てなければならない) "哲学とは、自然科学ではない(4.111)"、"哲学の目的は思考の論理的明晰化である(4.123)"という自身の命題を地でいくかのように、ひたすら明晰に、世界、論理、思考、自我、生、神秘について語っている。 一週間以上かけてゆっくり読んだので、はじめの方とかけっこう忘れててちょっと間違ってるかも(--;)でも、これが論理哲学論考とういう本の各命題から、脳内に経験として写像され、操作を施されて生じた私の論理空間(思考の限界)なので、あしからず。あと何回かは読み直したい感じ。子供のころにぼんやりと浮かんでは消えていく問いを、論理という道具によってひたすら明晰にしていってる感じ。 その意味で、 "おそらく本書は、ここに表されている思想をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう" という序文はまったく正しい。

ミンスキー『心の社会』

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人工知能と聞いて、「難しそう」という人にもぜひ読んで欲しい一冊です。トピックは1ページ毎に書かれている為、英語でありながら非常に読みやすくなっています。しかし、その1ページが恐ろしい程深く、簡単に読み進めれるものではありません。人工知能を多角的にとらえた、歴史に残る作品だと思います。技術的な知識は特になくても、恐らく問題なく楽しめると思います。 著者のマービン・ミンスキー氏は、人工知能の父とも言われる研究者で、あのMITの AIラボを立ち上げた一人でもあります。人工知能に少しでも興味がある人、熱帯夜を忘れる程の刺激を求めている人、物思いにふけりたい人、「心」って何だろうと思っている人など、とにかく誰にでもお勧めの一冊です!

ライル『心の概念』

カスタマーレビュー

 この本は心という概念を、意志や情緒、想像力、知性.etcに分解して、その一つひとつに対してギルバート・ライル自身の一貫した視点から説明がなされているものです。  著者は、われわれが心の働きであると信じているものは、結局外からの観察によって得られているもので、身体の中に、身体とは別の何ものかが存在しているのではない、つまり”機械の中の幽霊”などというものは存在しない、ということを主に言語的な側面から論じています。  自分としては若干英語の文法に引きずられていると感じましたが、あるいはそれでいいのかもしれません。  結構面白く、ところどころで目を開かされるような言葉もありますが、ページは500弱、文字も小さく分量が多いので、読みきるには根気が必要です。読んでみようと思う人は、えー、頑張ってください。  ちなみにですが、この本はアーサー・ケストラーの著書『機械の中の幽霊』のもとになっていて、また、そのタイトルが攻殻機動隊のGhost in the shellのもとになっているのです

バタイユ『エロティシズム』

カスタマーレビュー

「好色漢の恥ずべき情念と聖女自身の情念は 同一のものがあり、そしてそれは有限という人間存在を 何とか乗り越えようとする欲望である」という 衝撃的な言葉ではじまる本書はそれでも論理は さして性急でもなく、着実でありわかりやすい。 バタイユの考えを知るには最も好著なのではないだろうか。 「エロチシズム」という題名であるが 人間の広範な活動についての衝撃的な考察がある。 「労働による人間世界を確固たるものにするため 人間は性を含めいろいろなところへ禁止を強いた。 しかし、一方で禁止を侵犯することでその禁止をのりこえ 補完する」 「極限においては我々は生を危険におかすものを決然と欲する」 着実の論理がある一方で炸裂する言葉の数々がある。 まさに炸裂といった感じ。

アガンベン『ホモ・サケル』

カスタマーレビュー

他のレビュワーの方もおっしゃっているように、やたら難解な造語が意味の説明もなくポンポン出てくるのは非常に読みにくい。 さすがに原著には当たっていないが、わかりにくいとは思った。 キーである「剥き出しの生」もよく意味が分からないで出てくるし・・・ 言いたいことは「収容所は、いかなる政治的意味づけ(人として認められる人権など)も外された、ただ生き物としての生(=剥き出しの生)が発現する場所として初めて理解可能になる」ということであろうが、ならもっと簡単に言えそうなのに。 確かに主権をめぐる矛盾や二重性は難しいといえばそうだが、しかしもっと簡単に言えるとは思う。 というわけで、内容をきちんと理解できているか保証しかねるし、実際わかりにくかったのでこの点数。 多分原著でわかりやすい訳で読めばきちんと星五つなのだろうが。

ラッセル『西洋哲学史』

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哲学史という、これまたチャレンジングな試みをなせる人間はそうざらにはいない。哲学史を語るという事が、一つの哲学の表明になりそうならなおさら。この3部に分けられた「西洋哲学史」の著者、バートランド・ラッセルの場合はどうだろう? 3部構成の第一巻は、ギリシア文明の始まりからローマ帝国までを扱う。サブタイトルにもあるとおり、「政治的・社会的諸条件との関連における」哲学史とうたっていることもあり、歴史的文脈の中での哲学が語られる。それだけに、気楽な読み物としても十分利用できる。 現代の哲学の出発点は、ソクラテス以前にたちかえることにあるそうだ。気に入らない哲学者の理論を批判するときの、ラッセルの思い入れたっぷりの(別の意味で)語り口は本書の魅力。第一巻だけでも読む価値はある。

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1 10代で読んでると恥ずかしい必読書

書評テトリス | 2010年09月29日 21:13
10代で読んでいないと恥ずかしい必読書: http://www.j1nn.com/archives/51733505.html を読んで。「読まないと恥ずかしい」ではなく「読んでると恥ずかしい」(読んでる所を見られたくない感じの)本をご紹介。 タイトルが恥ずかしい。(でも上記ブログにもとりあげられて [Read More]

2 Math - 01者で読んでいないと恥ずかしい必読論文

404 Blog Not Found | 2010年09月30日 03:34
これは恥ずかしい。 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect 何が恥ずかしいって、なんといってもその分量。 必読っていうなら、なるべく短くなくちゃ。 [Read More]

3 [にっき]10代の時は好きな本読んどけ!!

にっきちょう | 2010年10月01日 00:05
10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect 十代の必読書は自分の好きな本だけ - G.A.W このへん読んで。 必ずしもプラトンやらなんやら読む必要はないと思うのよね。漫画ばっかり読んでました!でもいいし、アニメばっかり見てました!でも全然いい [Read More]

4 ここは酷い必読書ですね

障害報告@webry | 2010年10月01日 00:52
10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect http://www.j1nn.com/archives/51733505.html ”10代で読んでいないと恥ずかしい必読書を挙げよ” | ライフハックちゃんねる弐式 http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51014880.html 10代でそん... [Read More]

5 10代で読んだ、または読んだら影響が大きい(だろう)本

PictorialConnect | 2010年10月03日 01:08
10代で一体どんなものを読んでいたのか、一読だけでやめてしまったものや、それ以降特に気にもしなかったものなどは除外して考えてみた。 最初に まずはこちらの3エントリーについて。 「10代で読んでいないと恥ずかしい必読書 - その1 - PictorialConnect」 「10代で読ん... [Read More]

コメント
1 名前:こんま2010年09月29日 18:07
こんなに読む奴いねーよ
アホ
2 名前:うんこ2010年09月29日 18:44
こんなの10代で読んでる奴はかなり何かをこじらせちゃってる奴だろ
3 名前: 2010年09月29日 18:48
ネタを(ry
10代ってか大学生ならどれか目を通してると思うが
4 名前:はげ2010年09月29日 19:05
哲学や文学専攻でもないかぎり読まないね。
自分が読んだ本の自慢?
糞記事。
5 名前:おしり2010年09月29日 19:18
読んでなきゃ恥ずかしいとか言ってんじゃねーよ
こんな糞記事書いてるあんたの方が恥ずかしいわ
6 名前:ADAM2010年09月29日 19:27
10代でこれらを読めとなるとかなり厳しいのでは?
自分が若い頃は岩波100選を全て読もうと試みた事があるが訳が拙いものも多く一部を読むに留まっている。
例えばニーチェも独逸文学の友人に言わせれば原文は童話の様に読みやすいのに何故日本訳はあんなにわかり難く仰々しい訳になるのかさっぱり判らんとぼやいていました。
日本の学者は西欧の哲学をやたらと高貴なものに思わせ自分の立場を磐石なものに仕上げていただけで、あまり意味のない事を大げさに言いふらす詐欺まがいだったのかと疑問を感じる。
ところでチュウリングを取り上げているのは面白い。もっと数学者に注目しても良いと思うのだが。コンピューターもノイマンばかりが注目されるがオートマトンのチュウリングマシンやエニグマの解読も面白い話だろうと思うが。ついでに林檎に青酸カリを塗ってかじり、自殺した事も。
ここに列記した書籍を10代に読めというのはいささか時代錯誤だとは思うが、プラトン、ソクラテス、アリストテレスを取り上げたのは正解か?
最近ハーバード熱血教室と称してJUSTICEを講義して受講者が殺到している話を聴きギリシャの哲学への希求が多いのかと驚いていると同時に感心した。
(その1)
7 名前:ADAM2010年09月29日 19:28
(その2)
日本はこの手の討論をあまりしないエリートが国を指導しているところに悲劇があると思うが(もっともギリシャの国の運営は最低だが)。
国にしても組織にしても指導してゆく者は責任や権限を有する。それはまた場合によっては生殺与奪権を行使しなければならない場面にでくわす。この時この哲学を仲間と徹底的に議論した人間でないととんでもない判断を下す可能性がある。
生殺与奪権とはすなはち自身が神の代行をしなければならないという事だ。そして結果の責任は全て自分で負わなければならない。
政争だけで指導者になった者を仰ぐ国になったらそれこそ怖い話だ。
特にエリートになる人材ならここに列記した書籍(多くはあまり私は薦めないが)の類は読んで、討議して自身の倫理観を確立する必要があるのだろう。
8 名前:j1nn2010年09月29日 20:57
コメントありがとうございます。
最初に断っておくと、私はこれらの本を一冊も読んだことありませんw
読んだことないので、こんなに知らない世界があったのかとワクワクしながら、後学のためにちょっとでも何かできないかとamazonへのアフィリエイトリンクを張りました。
それだけの記事です。

>>1
だと思います

>>2
多分、この膨大なメディアが渦巻く現代日本でこれらを読む10代はまともではないでしょうね。

>>3
哲学に対して体系的な勉強を行っていれば、どこかで目にする書籍もあるのかもしれませんね。ただ、時代的に結構古い気がします。
本しかメディアが無かったような時代に、4畳半の学生部屋に積まれていた感じの書籍が多い気がします。

>>4
読んでません。最初の文章を読んでください。

>>5
”10代で読んでいないと恥ずかしい必読書を挙げよ”
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51014880.html

>>6-7
最近はどうなのか知りませんが、かつては海外の論文をいち早く翻訳して紹介したものが偉いという体制があったと野口悠紀雄先生が言っていました。
知っているだけでもてはやされた時代ですね。それをどう考えていくかというところで差が生まれる気がしますが、google先生がいなかったので、しょうがないのかもしれません。
9 名前:これ2010年09月30日 01:07
若いうちに読めば影響が大きい本リストって感じがする。
10 名前:全部?ふざけんな2010年09月30日 08:51
哲学ばっかりじゃんw
すこし経済でww

小説もエッセイも漫画も
混ぜ合わせろよ
11 名前:K2010年09月30日 10:15
哲学に限るとしても情報が古すぎますよ。
いま50〜60代の人たちが言っているみたいだ。

ショーペンハウアー、キェルケゴール、ヤスパース、ヴェイユ
あたりは不要。実存主義思想とかいう化石のなかに保存されているだけ。
フォーダー、ミンスキーもいらない。
それならもっとしっかりした心の哲学や認知科学の概説書を踏まえるべき。
12 名前:102010年09月30日 10:48
書き込みからAmazonリンクを張り直して記事作成。
こういう小遣い稼ぎもあるのか。
13 名前: 2010年09月30日 12:38
どれも読んだことがなくても必ずしも恥ずかしいわけではないが、
どれも読んだことがないらしいj1nnさんはこうやって金を稼ぐ恥ずかしい大人になった。

こういう自虐ネタだと気づきましょう。
14 名前:つまらん2010年09月30日 13:20
なんだ、この中途半端なネタは。偏った人間といやいや会話したような感じ。
読んだ数分は確実にドブ行き。
15 名前:1冊も読んでねえよww2010年10月01日 11:36
10代は国語の教科書読んでれば十分だよ・・・
16 名前:許さない2010年10月01日 12:43
ニュー速のコピペのパクリだよね?
17 名前:古いよw2010年10月18日 21:58
2年前の、読んでいると恥ずかしいゴミ本 (改題前 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書)かw
しかも進歩していない。コピペだからw
さすがにフロイトは要らんよwww
下記の適切なツッコミを読んで解毒することをお勧めする。

2008.03.14 人文的な、あまりに人文的な(笑)
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-5.html
18 名前:低俗だなw2010年10月25日 23:48
なにここ、アフィブログだったのか。

リストもレビューもパクってきてアフィリンク張り替えるだけで小遣い稼げてウハウハだな
19 名前:2010年10月31日 14:44
>読んでないと恥ずかしい

衒学的なスメルが強烈にする。こういう志向の輩はここに列記されたような本読んでないで、現実生きたほうが幸せになれるかと。
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