現代ほどシンプルイズベストという言葉が重い時代は無い - 減らす技術 

減らす技術 The Power of LESS [単行本(ソフトカバー)]レオ・バボータ

もっと情報を、もっとTipsを、もっとHowToを、もっとお金を、もっと効率化を、もっと条件の良いものを、もっと美味しい食べ物を、もっと感動出来る物語を、もっと高スペックのハイテク製品をと、我々の社会は日夜求める続けている。

そのため、情報は次第に肥大化し、個人が扱える情報を遥かに超え、何が正しいのか、取捨選択すらままならない、途方もない情報過多社会となってしまった。

この膨大な情報の流れに翻弄され、本当に自分が求める場所に到達する道筋が、現代ではかつてないほど見え難くなってしまったのでは無いだろうか。その中で全てをこなそうとしても、いつかは限界が来るだろう。


睡眠時間を削って、人より多くの情報を集めること、人よりうまく時間を使い、人より多くの仕事を終わらせることが美徳とされる。

だが、いくらそれらをこなし続けたところで、その人が本当に求める目的地まで到達する事が出来るのかというとそういうわけでも無い。タスク過多の仕事を日々追われるように終わらせたところで、かならず意味ある何かを成し遂げた事にはならないだろう。

目先のタスク、買い物、生活に完璧を求め、偏執的になるあまり、逆に目標がなんだったか、大局を見失いやすくなるという側面もある。

目的を見失ったまま、闇雲に「オススメ」な事ばかりやっているような状態は、目標も定まっていないのに数打ちゃ当たると銃を乱射する行為に等しい。

ではどうすればその闇雲なフローから抜け出す事ができるのだろうか。

それには選択と集中という技術を使うのがもっとも効果的である。

つまり、マルチタスクではなく、シングルタスク。複雑よりは単純。現象よりは本質。拡大よりは集中。広く浅くよりは狭く深くを目指すのが良い。

マルチタスクで物事を進めるのが一種の美徳とされることが多いが、何か目標を叶えるための行動の場合、マルチタスクで行動すると、成功率が極端に下がる。これは人間の生理が根本的にシングルタスクしか受け付けられない事に起因する。

マルチタスクは、タスク毎にマインドのギアチェンジを行うため、効率が悪くなる。また、一つ一つは単純なタスクだったとしてもマルチで行うと複雑化するので間違いが増え、混乱しやすくなる。だからシングルタスクに徹するべきなのだ。これは全てにおいてそう言える。シングルタスクでできるようにやるべき事を落とし込み、段階を上がっていくよう一歩ずつ確実に進むべきなのだ。

次に、現象よりは本質的な事に重きをおくべきであろう。これは目先の利益にとらわれるだけで、大局を見失わないようにするために必要なことである。

何の価値もポリシーも見出せない作業を惰性で進め、先に何があるか、人生のゴールも決めず、好きでも大切でも無い事を、何の効果も予測せずただ惰性で進めているのならば考え直した方が良い。

自分が向かいたい場所を決め、そこに到達するにはどうすれば良いのか、今やっている事がそこに到達するために必要な事なのか、本当に好きなこと、大切なことと思えるのか、本当に効果があるのか、もう一度問うてみるのだ。

そして見極められた、目標に向かうために必要なことにたいして、集中して行動を起こすのだ。

今やっている事に完全に注目する。自分がいま文章を書いているのならば、他のことは忘れてそれだけに集中するのだ。食事をとっているのならば、テレビは消して、その味そのものをしっかりと味わう事と同じである。これができなければ、集中力に問題があると思って間違いない。

あれもこれもと手をしたり、思いを巡らせたりすると、結局行動が広く浅くなってしまいがちである。狭く深く目標にのみ的を絞って突き進むにはどうすればいいのか。

これも先の集中の話と同じであるが、例えば、あるポイントに穴を開けようと思うのなら、巨大なハサミや良くきれるナイフなどよりも、アイスピックの方が効果的である。一つの事を成し遂げるためにはこのアイスピックのように細く研ぎ澄ました集中力が不可欠なのだ。

マルチタスク、大量のタスク処理、一度に多くの事をやることへの礼賛は、全時代の遺物である。かつては物事が今ほど複雑化していなかった。選択する事もすくなかった。集中が容易だったのだ。マルチタスクになる必要がない状態である。その中でマルチタスクはある程度有効な手段だったのかもしれない。

現代において、その時の勘違いを復活させても生産性は下がる一方だ。選択と集中によって最高のパフォーマンスを上げることができる。人がこの地球の生物の中で最も広く分布し、繁栄したのはこの選択と集中を国家や世界規模で行ってきたからだ。人手が多ければ可能な事も多いだろうが、人、一人ができることなどたかが知れている。その個別具体的な自分自身にたいして、有効な目標とその達成に、この選択と集中を行う事で制約を取り払うことができるのでは無いだろうか。逆にいえば、この選択と集中を行わないで何か事を成し遂げるなど不可能である。

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